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お母さん。
お母さん。
ああ、違うわ。
お母様。
ねえ、お母様。
「煩いわ」
「ごめんなさい」
「何のよう?」
「雨が、降っているの」
「そうね」
「そう。朝から、降っているの」
「そうね」
「そう」
幼い頃の、思い出を思い出した。
思い出すから。
雨の音は、時折、記憶の砂に埋もれさせた箱を発掘してくる。
誰が見つけたの。
誰も、見つけて欲しいなんて言ってない。
強がりで誤魔化して、私はゆっくりと箱を開ける。
ブリキの箱の中に埋もれていた雫の多さに、私は思考を停止させた。
雫が固まり、水で満たされたシャボン玉のようにフワフワとプカプカと私の目の前まで浮いてきて、停止する。
弾けた。
「…ジョー!雨なんて!」
「え?」
「…僕の話、聞いてた?」
「聞いてないわね」
平然と返す私に、モンブランは頬を膨らます。
私は訂正する気も、機嫌を直すことも考えずに、ただ窓の外へと視線を向けた。
雨が降っていた。
流れ落ちる、水滴。
空から落ちて、地面に吸収されて、また空へと上って帰ってくる。
輪廻を司るのは、本当は雨ではないだろうか。
いや、違う。
森羅万象、全てのものが輪廻そのものなのだろう。
漠然と、輪廻の意味も考えずに思った。
「久しぶりの雨。これで、花粉も流れるかな?」
いつの間にか機嫌を直していたモンブラン。
にこにこ、と、楽しそう。
窓の外を見て、モンブランは言葉を続ける。
「僕は雨が好きだよ。全てのものを遮ってくれる。僕の視界を、消してくれる。この先に何があるんだろう。何を、隠して。何を思って、降るのかな」
「何も無いわ。雨は、流れるだけよ」
「流れるか。うん、例え方は人それぞれだね」
「…なんだか、モンブランが私を見下ろしているようで嫌だわ。その言葉」
「受け取り方によるよ」
「そうね」
私は、淡々と返す。
雨が降っていた。
幼い記憶を、思い出させた。
「お母様は、雨が、嫌いだったのかしら」
「え?」
「独り言よ」
小さい頃、手を繋いだ記憶も無い。
望まなかったのは、私。
いや、お母様。
もう、どちらかわからない。
わかるのは、ただ、手を繋いだ記憶さえもないということだけ。
寂しいことかと問われた。
寂しくないと、答えた。
残るのは、そんな記憶だけ。
「会話をした、憶えもないわ」
幼い頃の私は、それなりに無邪気だったと思う。
だからこそ、大学にもすんなりと合格し勉強の道を歩めたのだろう。
興味こそ、何よりもの学力があがる術だと私は思う。
無邪気だからこそ、無知だったからこそ、興味を持てた。
しかし、それなりの知識を持ってしまった今ではどうなのだろう。
「今、僕と会話をしてるよ」
「え?」
「あれ?そういうことじゃなかったの?」
小首を傾げるモンブランに、私は苦笑した。
どうでも良い、気がした。
「そういうことでも、良いわ」
「なんだか、少し不満」
「どうして?」
「ジョーが僕よりも偉いみたいだから」
私は思わず、笑ってしまった。
モンブランは言葉を続ける。
「ううん。でも、別に、関係ない」
「そうね」
雨が降る。
雨は記憶を流すどころか、蘇らせた。
それでも、いつかは流してくれるのだろう。
水滴が地面に帰るように。
私の記憶も地中深くに、また埋まる。
「受け取り方に、よるわね」
私は呟いた。
お母様は、雨が好きだったのだろうか。
微笑んでくれた記憶さえも無い。
それでも。
「僕は、いつでも純粋に、素直に、受け取るから」
にっこりと笑うモンブランに、私は苦笑を零す。
雨が齎したのは、自分の知らない笑顔だった。
自分が決して求めていなかったものだった。
それでも。
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